女は愛でバカになる (be文庫)作者: 田嶋陽子出版社/メーカー: 集英社発売日: 2003/12/16メディア: 文庫 クリック: 13回この商品を含むブログ (10件) を見る
相変わらずこういう本を読むと、闘志湧き立ってくる。
やっぱり敵は多い。
特にオヤジと女とわかってる風の男が難問だ
と私は思っている。
オヤジは、もう自分の中にすっかり根付いてしまった差別を習慣として身に着けてしまって、振り返ってみない、自明のものとなぜか決め付ける。
女は、思い込もうとする。思考について、楽をしようとしている。諦めともいう。それを押し付けてくる。考えもなしに。
わかった風の男は、特にむかつく。「俺は男女平等と思ってる」と言いながらも、「男はどうしてもやりたがっちゃうんだよ。本能的に」とか意味のわからん矛盾をのたまったあの男!(特定。笑)
私の認識は固まりつつある。だけど、まだ言葉が足りない。
人に自分の意思を伝えようとするすべがまだ足りない。
だから私はいろんな人の意見を、つまり先人の智恵を借りて、論争準備する。
今回もいろいろと学べた。
また、いろいろな新しい知識・事実を知る。
今回の憤る事実は、
強盗が人を負傷させた場合 → 「無期または七年以上の懲役」
強盗が人を死亡させた場合 → 「死刑または無期懲役」
強姦や強制わいせつの結果
女性を死なせてしまったり → 「無期または三年以上の懲役」
怪我を負わせた場合
なんじゃい!強姦で人を死亡させた場合は、強盗で人を死亡させた場合よりも刑が軽いってなんじゃい!
とおもったのでした。
そして、ここにきて、気付いたのは、昔飲み会でご飯を取り分けた友人に対して、「ポイントアップ」とかのたまった男と、その場に対するなんだかどうしようもない違和感を、なぜ感じたのかがわかった。
人に、仕えることで、奉仕することで評価があがると言うその思考、それを何の違和感もなく吐き出すという無自覚、「なんだ、私はその男と対等とみなされてはいなかったのだ、女というだけで。」
という、そういうことがはっきりと提示されたからだったのだな。
女は、「主人」に仕えるモノなのだ。この社会では。
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参考にしたい言葉たち
「確かに私は政府の政策の犠牲者かも知れない。でも今の生き方は私にあってるしなれているから好き。私はこのまま行きたい。」と言うならそれは意思による知的な選択だと思う。しかも他の人たちを道連れにはしないだろう。
差別があるならあると認める知性を持った上での選択だからだ。
その認識を逃れた選択はどこにも行き着かない。自分と同じ抑圧された女たちの再選さんに手を貸すだけだ。
知的に選択した人は、他の人が違う生き方をすることを許す。(p99)
これには反省及び、同意。 裏を意識せずに、差別を意識せずに「これこそ幸せ!」と押し付けるのはもうやめていただきたい!
自分は最終的にいろいろ知った上でこれで良い、というなら良いだろう。
でも、耳をふさいで、思考をストップさせた状態でそういうことを言うのはやめていただきたい。 それは、社会を変えない。つまり、他の自由を求める人間の足かせになるだろう。
とにかく女性の服装や化粧の背後にある女性差別をわかった上で、それでもこれらを利用するっていうなら大いに結構。(p202)
私ももうちょい柔軟にならにゃなぁ…
それから、そうだなぁーと明るい気持ちになれた文
本来、女と男が対等なら、そこにはす晴らし恋愛も友情も生まれる。しかし男が女を「穴」扱いし、女がそれに怒りもしないで男にこびている限り、そこに、対等ないい関係なんてあるはずがない。(p13)
私には男友達がいる。
きっと彼は、私を人間としてみてくれている、とここで気付いた。
ありがたいことです。
私は女としていきたいんじゃない。人間としていきたいのだから。
やっぱり女がご飯をよそうことで「ポイントアップ」と言うような、それをなんの違和感もなくこなせるような男とは付き合いきれない。
私は「主人」に仕える女ではないのだ。
その男と対等な「人間」なのだから。