世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい作者: 森達也出版社/メーカー: 晶文社発売日: 2003/04/01メディア: 単行本 クリック: 15回この商品を含むブログ (44件) を見る 相変わらず、森達也の本は最高です。 最高だなんて表象は陳腐で合わないが。 また、考えなければ、生きなくては、と思わせられるのです。

 今回のこのタイトル『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』はどうやら森達也氏のお気に入りらしい。もともとは「A2」のコピーになるはずだったんだと。
 でもちょっとセンチでくさい…が、ま、良いか[:グッド:]

 今回も貫かれていたのは「思考停止」と、「自分たちもサリン事件の実行犯や、ナチスの虐殺やらを行う恐れがあるということ」。
 これは、森達也が、その後の著作『世界が完全に思考停止する前に』とか、姜 尚中との共著『戦争の世紀を超えて』のときもずっと言っている。
 
 それから今回印象的なのが、「日本を愛していた、誇りに思っていた。」というような記述たち。

 僕は日本を愛していた。この国に生まれたことを誇りに思っていた。この土地を、この町を、この山河を、人々を、何よりも愛おしく思っていた。南京で虐殺された人の数か3000だろうが30万だろうがどうでもよい。慰安婦が実は志願したのか強制されたかもどうでもいい。数字や記録にこだわらず、ひたすら謝罪し反省する日本を、僕は誇りに思っていた。徹底した自虐史観に誇りを持っていた。国家を持たず国旗に拠りどころを求めないことに誇りを持っていた。武力の保持を放棄することを宣言して非武装中立という夢を持ちつづけることを誇りに思っていた。多くの国が結集して中東の一国を爆撃したとき、武器を持たず経済的な支援だけで参加する日本を誇りに思っていた。こんな国は他にない。他のどの国にもできないことを日本は間違いなくやっていた。どうして胸を張れないんだ。

 ・・・

…でもオウム以降、全てが消えた。オウム以降、全ての箍が外れた。
 
 日本史で国辱的な部分をなくすから愛せるんじゃない。
 過去の過ちを、しっかりと詫びれた日本を愛し、そして誇りに思ったのだ
 しっかり向き合うことは難しく、だからこそ、それを成す日本を、かっこいいと思えたのだ。
 国辱的だとその歴史を教えないようにすることこそ、誇りに思う気持ちを萎えさせる。私はそう思うし、そうなっている。

 そして、この記述を読んで、やっと私は地下鉄サリン事件が分岐点だったという意味をやっと、認識した。
 今まで何冊もの本でそれを提示されつつ、ついに認識できなかった言葉だが、やっとわかった。 
 なるほど、オウム以降、変わってしまったのだ。

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 それは、9.11の事件があってから、少し好転するかに思われた。
 「アメリカの狂熱と陶酔を、太平洋を隔てて眺めたことで(p82)」、自分たちも実にこんな風だったと、気付いたはずだった。一瞬は。
 だけど、どうしてもまた、同じように成り下がっている。



 この時代を作っているのは自分たちだという意識を持つべきだ。持たなければならない。
 と、森達也は再三語りかける。

メディアも政治も司法も何もかも全て、この国の枠組みを選択しているのは僕たちなのだ。(p166)
それは僕らの選択なのだから、甘んじて自滅すれば良い。(p199)
 
「この甘んじて自滅すれば良い」という言葉が恐ろしく好きだ。
 まず私は「甘んじる」という言葉を批判的な文章で使うのがものすごく好きだ。 
それから、このつきはなした感じが良い。 あぁ、自覚しなくては、と思う。

 そんな厳しい言葉の中で、ちょっとほっとさせられる(というか、ちょっと妥協しても良いのね、と安心できる)のが次の文章。
 だけど最小限度の麻痺も実は必要だ。犠牲になるほかの生命にいちいち感情移入していては、多分誰も生の営みを続けられない。

 沿岸に打ち上げられた鯨の救出劇をテレビで眺めながら、僕らはフライドチキンを頬張ったりしている。それを否定はしない。でも矛盾だよなあと苦笑するくらいの自覚はほしい。(p231)


 私たちは自覚しなければならない。
 私たちは常に想像しなければならない。
 日常になっていることを、普通だと思っていることを、「これを行っている」と、「これで良いのか?」と、考え、自覚しなければいけない。
 矛盾に対して、自覚的にならなければならない。



 アジアから尊敬されていた日本は消えつつある。それは、インドに居たころも思った。皆、失望し始めている。
 シリア人留学生から森達也氏が聞いた言葉。

「テロに対して報復を宣言したアメリカに対して、日本は違うオプションを呈示できる国だったはずです。 ・・・でも結局日本は何も示せませんでした。・・・ 少なくとも日本は、もっと独自のスタンスを示せる国だと思っていました。・・・今回のテロとアメリカの空爆への流れの中で、皆が一番期待していた国は実は日本です。そしていちばん失望させられた国も日本です。」(p195)


 私は、誇れる自分でいたいし、誇れる国に生きて居たい。

 だから私は、全てのものに自覚的でいたい。