選択的レズビアンという可能性
発情装置―エロスのシナリオ
上野 千鶴子
私は思考や嗜好の触れ幅がでかい。あまりにも。
それは最近ひどく気になることであるし、気にしていることなのだが。
2週間前までは、男に好かれる「女」になってやろうと思っていた。
ananを読んで反省したし、かわいい女とはなんぞやと語り合った。
そして今、私はフェミニズムに針を移した。
できれば後一年後にはしっかりとフェミニストになりたいと、願うばかりだ。 勉強して。
そして今思うのは、強制異性愛が存在したということに気付いた今、私は選択的に同性愛であることを選びたい、ということ。
まだ私はフェミニズム二ついて勉強を始めたばかりで、あまりにも理論が足りないが、故に、たたかうことはまだ難しい。
だが、これから変わっていきたいと願う。
私は社会制度にを反駁しながら生きることができるか?
それほど強い人間でないことはもちろん認知しているけれど。
だけど、この思考の触れ幅の広い私は、今、そう生きたいと願う。
あと2週間後には、かわいい女をまた、目指しているかもしれないが。