異性愛をめぐる対話作者: 伊藤悟,簗瀬竜太出版社/メーカー: 飛鳥新社発売日: 1999/11メディア: 単行本この商品を含むブログ (3件) を見る

 女性学を学ぶなら、避けて通れないのが、異性愛・同性愛・愛について。異性愛は「普通」「常識」「あたりまえ」なのか?
 自分が異性愛であるということを認識することなんてそうない。
 だけど、異性愛って普通なんかじゃないってこと。認識したほうがいい。
 同性愛についての基本的なレクチャーと、さまざまな人とのインタビューとで構成されたこの本は、とても分かりやすい。
 そして、同性愛・異性愛についての本だけど、男女について、マイノリティーについて、「普通」ということについて、多様な生き方を認めよう、と さまざまなテーマで書かれている。
 あぁ、カテゴライズされずに、自分としていきたい
 どっちかではなく、何億種類の人間の中の私。として生きたい。

 近頃私が気付いてきたこと。
 私がなぜここまで女性としてやるべき仕事をできないのか、
 やろうとしないのかということ。
 私だけでも社会の「常識」を変えたいと思っているから。
 そしてなぜ、「女らしさ」をここまで嫌うのか。
  私は、抑圧されていると気付いてしまったから。
  私が、個人として自由を奪われていると、気付いてしまったから。

  自然に、自分らしく生きたいのに、カテゴライズされる。
 その役割を演じさせられる。求められる。
  私はそれに敏感で、だから、“私がやるべき”とされている仕事をやりたくない。やろうとしない。やらないようにしている。
 お茶出し。お酒を注ぐこと。料理を取り分けること。
     気付いてる。
 今、それをやるべきだということ。
     気付いてる。
 グラスが空になっていること。
 だけど、私はやりたくない。あえて、しない。したくない。
 その構造に巻き込まれたくない。
  私だけでも、その常識を逸脱したい。
 それが私の正義、だとおもうから。
 私の得意な仕事、私の好きなこと、私のしたい格好・・・勝手に決め付けないで!
 だから、それに反抗するために、私はあえて真反対の嗜好を求める。
 私をカテゴライズしないで!
 可愛い女と思わないで!
 だから、私はベリーショートを選ぶし、かっこいい色を選ぶ。
 だから、私はキュートになんか話さない。

この本の特にブラボーな言葉たち 

「例えば僕の中にも男性、女性というのでは割り切れない部分はあるんだよ。男とか女とか、男のやり方、女のやり方というふうに分けて切ってしまうと、自分の中で抑えなければいけないものが出てくる場合があってとても苦しいことになるよ」
(P194)
 
自分の感情が抑圧されていることに気付いたとき、初めて他者の抑圧に対しても共感し理解できるようになると私は思うのです。
(P202)
 
「そうやってジェンダーで人を縛るのはよくないんだ」
(P226)

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(同性愛のことを)なあ〜んにもしらなくても(異性愛者は)何の不自由もなく生きていける。そのこと自体があなたの持っている「特権」なんですよ
(P34)

抑圧されていたことに

「あれもしょうがなくないんだ。これもしょうがなくないんだ。あきらめる必要はないんじゃない?」…
(P62)

 

いったん籍を入れたら、役割演技というか、世間から期待される夫婦像みたいなものを演じなければいけなくなってくる。
 (P82)
私はこれに、役割演技に、支配されているのを感じている。
 女としての。
 気付かなければそれはそれで幸せなのにね。
 私は気付いた。だから、苦しい。だけど、素敵なことだ。
 これに気付いたことで、他人の痛みも分かるから。
 女としての役割演技だけじゃなく、男として、異性愛者として、夫として、妻として、子供として。。。役割を押し付けられて、自分を抑えて、苦しんでいる人の痛みが。

 

例えば恋愛と友情。ここからここまでが恋愛で、ここからここまでが友情だとか、そういうのはきっぱり決められるものではないでしょう。
(P89)

 

愛というのは異性でも同性でも友達への愛でも、みんな一つ、同じ種類です。異性愛者はたまたま異性を好きになって性的関係を持つ。友人で終わっている人とは、たまたま性的関係を持たなかっただけで、そこはお互いのフェロモンが合う合わないがあるのかもしれないけれど、メンタリティー(精神)の上での愛は、一緒だと思うんです。
(P157)

 

「男女二元論で性について全て分かった気になるのは滑稽だ。」
(P175)